次世代!占いのある生活【YouTubeタロット占い/あんずまろんさん】

summary

  • 占いとは、人の心や運勢・未来など、目に見えないものについて判断、予言すること。またはその方法
  • 現在は選択肢を直感的い選ぶYouTubeタロット占い(あんずまろんさんなど)が流行っている
  • 占いは、昨日とは違う今日の自分を再確認できる「自己確認」の行為なのではないか
  • 当たる当たらないではなく、占い結果により未来に「希望」を感じ前向きに明日を生きていけることに意味がある

    

「占い」と聞いて、どのようなことを思い浮かべるだろうか。

   

心の拠り所?

胡散臭いインチキ?

スピリュアルぽくて怖い?

 

朝の情報番組では毎日星座別の運勢と「ラッキーカラー」を紹介してくれるし、有名な「母」のいる占い館はいつも行列ができている。

占いは信じていなくても、占い的概念である「今日ってついてるかも」「最近運勢が上向きになってる気がする!」といった感覚は、誰でも少しは持ち合わせているもの。

 

信号が数回連続でスムーズに「青」に変わっただけで、それが自分の持っている運だと感じるのも、きっとフォーチューン的なあれだ。

 

占いにまったく触れず生きてきた人の方が少ないのではないだろうか。

 

そんななか昨今は、YouTubeで視聴できるタロット占いが流行っているようだ。

私の知人も占い師YouTuberあんずまろんさんにハマり、オフ会まで参加したという。

   

   

何やらそのチャンネルでは、誕生日や血液型、星座ではなく、3~5つほどの選択肢から直感的に選んだもので占うらしい。

知人は目を輝かせて言う。

 

当たっているとか当たっていないとかじゃないんだよね。その結果に自分が励まされて、前向きに生きれればそれで良いの

 

なるほど、それはなかなかに素敵じゃないか。

恋愛関係で悩んでいたその知人は、しばらく見ない間に肌艶が良くなり、ずいぶん表情が明るくなった。

 

試しにあんずまろんさんのチャンネルを観てみると、そのYouTubeチャンネルは登録者数20万人を超え、どの動画も数十万再生を取っていた。

占いによってそこまでクオリティ・オブ・ライフが上がる人がいるというのなら、これはもはや一種の社会現象といえるのかもしれない。

 

なので調べてみた。占いのある生活が人びとにどのようなプラスの影響を与えるのか。

    

占いとは

    

占いとは、人の心や運勢・未来など、目に見えないものについて判断、予言すること。またはその方法である。

ちなみに占いを鑑定する人は、占い師、鑑定師、卜者(ぼくしゃ)、易者(えきしゃ)などと呼ばれるらしい。「手相家」や「気学家」といった呼び名もあり、客からは先生と呼ばれることも。

    

なんと羨ましい。「先生」なんて、一度は言われてみたいものである。

    

占いの歴史

占いはかつて、集団レベルの問題に答えるものだった、そうだ。

自然災害や天候、作物の出来、それによってその土地の繁栄まで左右されるというのだから、鬼気迫るものがあったのでないか。

    

そういうえばコジコジで、亀の甲羅を炙って未来を占う話があった。あれはインチキだったが、ああいう禍々しい儀式が昔行われていたかもしれないと考えると、なかなかにロマンを感じる。

    

そのような国家レベルの占いは、高度な専門知識と技術が必要であっただろう。そしてそういった高度な知識と技術を持つ者は、国の支配者のために働き、支配者は国家統治のために占いを依頼した、と考えられる。

    

時は現代、昨今の占いは、その大部分が個人的な問題を占うものだ。

もちろん現在でも国家レベルの占いは「予言」という形でなされているらしい(これにはまた別のロマンを感じざるを得ない)し、かつても個人レベルの占いはあっただろう。

    

しかし、割合でいえばば現代の方が個人レベルの占いが広まっているし、太古の方が集団レベルの占いの需要や価値が高かったというだけの話だろう。

何が言いたいかといえば、かつての占いにはオカルト雑誌「ムー」的な、それなりのロマンがあるよね、ということだ。

    

占いに根拠はない

周知の事実であるとは思うが、占いに根拠はない。

占いは、鑑定者独自の理論や経験などが大きく作用されている

    

これまで統計学など科学的要素が入っていると提示されてたこともあるが、科学的根拠が認められたことはない、とのことだ。

    

占いは科学なのか?実証性は?といった問題については今回私が書きたい内容とはかけ離れているため、気になっている方は記事末尾に記した参考文献を読むなり自身でデータを探すなりしてほしい。

少なくとも私は、興味がない。

   

ただ前提として、根拠がないということだけ伝えられればそれで良い。

    

考え方を変えるとすれば、占いを行う鑑定者の考え方がすっと入ってくるものだったり、尊敬できるものであれば、その占い結果が自身にプラスに働くことはあるかもしれない。要は好き嫌いだ。根拠ではなく、好き嫌い。

    

占いは詐欺?

現代においても、占いはしばしばビジネスとして扱われているようだ。

なかには霊感商法など、悪徳商法に発展することもある。

   

人の不安な心を利用して商売を行うなど褒められたものではないが、占い師が詐欺罪に問われることもあるらしいので、そこの裁きは法に任せるとしよう。

言えることは、詐欺に合わないためにも、「占いに根拠はない」ということを知っておくこと。これだけだ。

    

驚くべきYouTubeタロット占いの特徴

ここで、私がざっと観たYouTubeタロット占いの特徴を述べていきたいと思う。

全部を網羅できたわけではない、かつ個人的主観なので、どうかお手柔らかにお願いしたい。

 

選択肢を直感的に選んでいく

まず占いといえば、生年月日や血液型、星座などに分け、分類ごとに結果を出していくものをイメージするだろう。

 

対面であっても、生年月日や名前など、自身の情報をベースに占っていくものが多い。

 

しかしYouTubeタロット占いでは、たとえばはじめに「いぬ」「さる」「キジ」などのイラストが提示され、ぴんときたものを選ばせる。視聴者は、選んだ鑑定結果だけを見れば良い、というものだ。

この動画の場合、ポッキーのフレーバーが選択肢になっている

なんとも直感的。しかし、「星座」や「誕生月」など不変の事実で鑑定結果を見るより、自分で選んでいるぶん「切り開いている」感がある、気がする。うまくはいえないけど、このやり方の方が能動的に占いに触れている感覚があると思った。

 

選択肢は途中で変えても良い

驚いたのが、鑑定結果にぴんと来なかったら、選択肢を途中で変えても良いというところだ。

そして別の選択肢の内容が腑に落ちたら、そっちの結果を受け入れて良い、のだそうだ。

 

カルチャーショックを受けるぐらいの驚きだ。

 

なぜならテレビで占いを見ているときに、「私はてんびん座だけど結果が気に食わないから今日はおひつじ座の結果を信じよう」などとなった試しは一度たりともないからだ。

 

そんな発想にすらならない。結果は結果であり、受け入れるべきもの。別の結果を受け入れるなんて、考えもしなかった。

これではまるで、「自分の都合の良い結果を受け入れちゃいなよ〜」と言っているようなものだ。

 

これまでの占いの概念を覆されるような仕組みである。

 

それと同時にはっとする。

そうだ…「占いに根拠はない」。

根拠はないからこそ、自分が一番受け入れられる鑑定内容を「結果」にしてしまえば良い。

なるほど、ここでは、鑑定結果そのものも選択式だったのだ

 

すべての鑑定結果を見ても良い

そんなわけで、すべての鑑定結果を観る人もいるらしい。そのなかで、一番しっくりきた内容を自分の結果として受け入れる。

 

これは、これまで私が触れてきた朝の情報番組の占いとも、なんとなくイメージする館での対面での占いとも違う。

まったく違う。

 

学生時代の美術の時間。教えられた通りに制服姿の自画像を描いていたら、隣の天才肌がアロハシャツを着た自分を描いていた。

驚いていると、「自画像に制服を着せないといけないなんて決まりはないぜ」と言った。

 

この驚きは、あの時の感覚に似ていた。

 

自分がぴんと来た内容だけを受け入れる、というのは、突き詰めれば「自分が今何を求めているのか」「どうしたいのか」「どう思っているのか」を見つめ直す行為のように感じる。

単なる占いというより、自己確認をする時間のようだ。

と、ここで、参考までに図書館で借りた占いについての本の内容を思い出した。

詳しくは事項で説明する。

 

占いは「自己確認」である

『占いにはまる女性と若者』(2013 板橋作美 青弓社)では、テレビの朝の占いは「自己確認」だと述べている。

 

「今日の自分はどんな自分?」「ラッキー?」「アンラッキー?」「何色の服を身につければ良いの?」と、「今日の私を教えてもらうものだ、と。

 

同じことが繰り返される毎日のなかで、人は自分を見失いがちだ。

昨日と一昨日と今日の自分が違うのか同じなのかも分からなくなる。

 

毎日のささやかな運勢占いで、人びとは昨日とは違う「今日の自分」を再確認できる。

「昨日の私はついてなかったけど、今日は違うかもしれない」と希望を持つことも、できる。

 

著者はそれがテレビ番組の軽い占いに見られる特徴だと述べているが、個人的にはこの考え方は、占い全般にいえるものなのではないかと思う。

 

YouTubeタロット占いを観て、その気持ちがさらに強まった。

 

朝の情報番組での占いでは、「今日の私」を教えてもらう。

選択肢自由のタロット占いでは、「今の私」を深く考え、自分自身で確認してい

 

私たちは占いを通して、提示された結果を通じて、見失いがちな自分の心にアクセスしていけるのだ。

そこに根拠は必要ない。自分自身の納得感さえあれば、その結果を胸に明日を生きていける。

 

占いって、すごいんだなあ。

 

そんな小学生みたいな感想が出てしまうくらい、今回の調査は目から鱗だった。

 

運命は変えられるんじゃなかろうか

 

占い的に言うと、ここは断言すべきところではある。

 

運命は変えられる」。

 

しかし、私は占い師ではないので、そんなかっこいいことは言えない。だけど、運命なんてものはその人の気分や心持ち次第で簡単に変わってしまうようなものなんだと思う。

 

あんずまろんさんの占い動画を観ていて驚いたのが、希望的な言葉で満ち溢れていたということ。

私が観た限りでは、マイナスな鑑定結果はほとんどなかった。あるにはあるが、優しい語り口なので、絶望感は皆無だ。

 

うまくいく」「相手から連絡が来る」「これからどんどん関係が良くなっていく」。

 

それはまるで、そうしたポジティブな言葉を発することで、本当に未来が好転すると信じているかのようだった。

 

希望を感じられれば生きていける

精神科医の方の、こんな話を聞いたことがある。

 

どんなどん底の状況にいる人でも、絶望的な現状を前に項垂れている人でも、未来に一筋の「希望」を感じられれば立て直すことができる、と。

 

占いはまさに、そんな未来への希望を提示するものなのではないか。

 

根拠はないし確証もないけど、未来には希望があるかもしれない、と期待できることで、明日を生きていける。

占いの本当の価値は、そんなところにあるのではないかと思った。

 

<書いた人>

miki/ワーケーションライター。東京(の端)に生まれ育ち、日々ワーケーションを実施している。特に好きな作業場所はカフェ

参考:占いにはまる女性と若者(2013 板橋作美 青弓社)・占いをどこまで信じていますか(2007 浅見帆帆子 幻冬舎)

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