「あやうく一生懸命生きるところだった」から学ぶ頑張らない生き方

 

みなさん、自分の生き方、働き方に満足しているでしょうか。

 

「周りより稼いでいないし結婚もしてないし車もない。だめだめだ」「同年代に比べて出世できていないから、同窓会には断固として行きたくない」

 

そんな人もいるでしょう。

 

より良い暮らし。より良い会社。より良い配偶者。

そういったものを求めて躍起になっている人もいるでしょう。

 

しかし、よく考えてみましょう。

富を得れば、名声を得れば、本当に幸せなのでしょうか。

答えはきっと、ノー。

 

なぜなら富や名声は、他人が提示した幸せであり、必ずしも本人にとっての幸せとは限らないからです。(もちろん、それが幸せな場合もある)

本当に満ち足りた人生とは、自分自身がどう生きたいのかよく理解しており、自分のペースで自分に合った暮らしをすることなのではないでしょうか。そう、「自分」「自分」「自分」。わがままなくらい自分本意で良いのです。

 

というわけで、本日は、自分らしく生きるための一冊…『あやうく一生懸命生きるところだっだ』を紹介させていただけたらと思います。

 

ぜひともハワイアンミュージックを聴いたり、愛猫を膝の上に乗せたりしながら、フラットな気持ちで読んでもらいたい本です。

 

というわけで、韓国でベストセラーを記録したエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだっだ』の内容を紐解き、自分らしい生き方について考えていきましょう。

 

『あやうく一生懸命生きるところだった』

韓国でベストセラーを記録した本作は、40歳で会社を辞めた著者が「一生懸命生きない」生き方や自分らしく生きるコツを綴ったエッセイ。

 

作者のハ・ワンさんは40代の男性。ふと自分がどこを目指しているのか分からなくなり、思い切って会社を辞め自分らしく生きる道を模索するようになります。

 

筆者が退職後、「自分らしく生きるとはどういうことだろう」と、迷いながら、悩みながらも、どこかお気楽に自分の生き方について考える様が、赤裸々かつユーモアたっぷりに綴られている本作。

個人的には、人生の悩み立ち止まった時、何度でも繰り返し読みたいと思える至極の生き方エッセイです。

 

生き方は自分で決められる

この作品では、世間の常識に囚われず、自分なりの生き方を自分自身で選択することの大切さが描かれています。

筆者は、40代の未婚、賃貸ぐらいで車も所持していない。しかし少しも不便でなければ、悲しくもない。

周囲からは「なぜ結婚しないんだ」「まだ賃貸暮らしなのか」「僕らの年ならこれくらい年収を稼いでないと…」などと言って、筆者をかわいそうな目で見ます。

 

筆者にとってその事実は気に病むことではなく、むしろそう行ったレッテルを貼ってくる人びとに対しかわいそうなふりをしなくてはいけないことを悲観しています。

 

「自分の人生なのに、自分の気持ちなのに、どうして他人評価によって大丈夫だったり大丈夫じゃなかったりするんだろう」

 

万人にとって正解の生き方はない

このエッセイの重要なポイントは、仕事を辞めて出世街道から降りた作者が「今が100%幸せだ」とは言っていないところ。

まだ自分の選択に迷いがあったり、本当にこれでよかったのかと振り返ったりもする。

 

つまり、ここに書かれている筆者の生き方がは、必ずしも正解ではないのです。

そして、自らの生き方を綴ったエッセイを出版している筆者にも、まだ自分の人生の正解が分かっていない。一生分かることなんてないかもしれない。

 

だからこう、エッセイを読んで「明日から人生が激変」なんてことは望んじゃあ、いけないのです。

 

「疲れたら立ち止まれ」「道は一つじゃない」「生きていくってたいしたことじゃない」。

 

こうした筆者の言葉が、疲弊した心をじんわり癒してくれる。そして、明日もいっちょ生きてみるか、という気分にさせてくれる。そんな、ささやかな魔法を感じる一冊なのですね。

 

弱さをさらけ出す勇気

このエッセイでは、仕事を辞めた作者の弱さがありありと描かれています。

弱さがその人らしさを形作る「ユーモア」だと述べられており、筆者自身も自分の弱さを認めてこれでもかとさらけ出しています。

 

私もこの本を読んで、特に「自分の弱さを認めて受け入れる勇気」を得られたような気がします。

人間は、己に対してどこか完璧主義な部分があり、自身の強さや長所を全面に出したくなります。弱さを見せるのは、怖い。どうしても怖い。

それで無価値だと判定されてしまえば、立ち直れないかもしれない。しかし、本当に人に受け入れてもらうためには、自分の弱さを受け入れそれを惜しげもなく晒す必要があるのではないかと、そう筆者を暗に説いているわけですね。

 

逆に考えてみると、完璧な成功者よりも、弱い部分も持ち合わせている人の方がどこか安心感があり、接しやすかった記憶があります。

 

実際作者への印象も、自身の弱さを受け入れていることによる人間的な余裕を感じました。

現在の完璧ではない自分を、そのままに愛せたら、どれだけ生きやすくなるのだろう。そんなことを感じずにはいられません。

 

一生懸命生きなくていい

やはりなんといっても本作には、「一生懸命生きなくていい」という大きなメッセージがあるじゃないですか。

 

それって、「楽をしろ」「手を抜け」「夢を捨てろ」みたいなことではないような気がして。むしろ、人生の「完走」を目指すための、結構建設的なメッセージではないかと。

 

がむしゃらに走りすぎて燃料切れになるよりも、ゆっくりで良いから着実にゴールを目指そう、というような。

だからこう、時流に乗るとすれば「持続可能な人生目標を持とうよ」という言葉に置き換えられる話なのではないかと思うのです。

 

韓国人である筆者は、受験に失敗し、命を絶った学生のニュースを目にします。お受験戦争の風潮がある韓国では、そういうった話は珍しくない、と。

 

そういう人たちの多くは、自分の頑張りに成果が見合わないことに絶望し、完走をやめてしまったのではないでしょうか。

大切なのは、本当に私たちが考えるべきことは、目先の出世やお金ではなく、幸運にも与えられたこの生をなんとか楽しく生き抜いてみせる方法なのではないかと考えされられます。

 

まとめ 「誰かの幸せ」を追ってはいけない

本著では、人生にとって回り道や一見ムダなこと、たとえば「自分がやりたいことだけやる」ことや「自分の足でお気に入りの飲食店を見つける」「裏路地に寄り道してみる」など、社会的成功とは遠いような物事に目が向けられています。

 

出世のためにやりたくないことを一生懸命にやる生き方ではなく、やりたいことをやって一生懸命にならない生き方もあるということを、やんわりと押し付けがましくなく提示してれています。

 

実際読んでいて、人間にとって「出世」への重要性がどれほど高いのかが伺える内容となっていました。その一方で、多くの人がそんな社会に疲弊している。

できることなら出世など考えず、ありのままに生きたい。そう思っている人のいかに多いことか。しかし、そうできない事情というのもあるんですよね。

 

長年生きてきて、植え付けられてしまった「誰かの幸せ」。これがネックになっているのではないかと。

 

あたかも「誰かにとっての幸せ」が、「自分の幸せ」のように思えてしまう。それが大多数の発するものならなおさら。

 

なんとなく自分の人生に思い悩んでいる人は、まず、誰かの幸せを追うのをやめてみてはいかがでしょうか。そして願わくば、自分のためだけに生きてみてください。それがきっといつか、大切な誰かを幸せにするから。

 

<書いた人>

miki/ワーケーションライター。東京(の端)に生まれ育ち、日々ワーケーションを実施している。特に好きな作業場所はカフェ。

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